第49回 酒やタバコの真実

第49回 酒やタバコの真実



【第0回ハナの思い←まだの方はこちら】


より多くの方に読んでいただいて虚弱体質改善していただくため、アメブロも始めました。こちらに無い情報も語っていきます。良かったら覗いてみてください。

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 いよいよ依存編も佳境に入って参りました。

 

 前回は、酒やタバコ、砂糖や小麦、セックスやギャンブルなどの依存物質は、いわゆるマッチポンプのようなもので・・・

 

(意図的に問題を起こしておいて、困り果てた相手にその解決策を売りつけるようなやり方。例えば白アリを標的の家に放ち、巣食ってから、シロアリ駆除を売りつけるようなやり方等。)

 

 

 

(´・ω・) 「・・・・・。」

 

(´・ω・) 「・・・・・。」

 

 

(´・ω・)「・・・詐欺やん・・・」

 

 

と言えるような存在である、という内容でした。

 

 

酒やタバコの美味さは、ただの「まやかし」

 

 

 

(`・ω・´)「酒やタバコが、ストレス解消してくれるやで」

 

 

(`・ω・´)「酒やタバコが幸福感を与えてくれるやで」

 

という側面は、狭い視野で視た場合の、事実の一部分に過ぎず、広い視野全体を俯瞰したならば、そのストレス欲求不満幸福感の欠乏自体、実はもともと酒やタバコ(によるドーパミン神経鈍化)が作り出した(もしくは助長した)もの、という構造が見えてきます。

 

 果たして、それらを一時的に解消してくれるということが

 

本当の意味での「解消」と呼べるのか?

 

という話です。

 

決してそんなことは無い

 

ですよね。どう考えても。

 

 事実、マイナス1ゼロに改善してくれるものではあったとしても、そのマイナス1自体、依存物の摂取がもともと作り出したものであり、そもそもの話、依存物を摂取していなければ、そのマイナス1自体、もともと無かったやん、という話になります。

 

 タバコで言うなら、

 

「ニコチンが解消してくれるストレスは、ニコチン切れのストレスのみ。じゃあ、そもそもニコチンを摂ってなかったら、ニコチン切れのストレス自体起こりえないわけだから、その『解消』って、意味なくね?」

 

「ただのニコチン切れプレイじゃね?」

 

「ただの茶番劇じゃね?」

 

ということになります。

 

(#^.^#)「いやいやいや。マジ笑わせてくれるっしょ。百歩譲って、酒やタバコのストレス解消効果がただのマッチポンプ、詐欺でまやかしだった、ただの茶番だった、実際には何の意義も無かったんだとしても、酒やタバコには、パネェ『美味しさ』があるっしょ。このU・MA・SAだけは、マジ間違いないっしょ。俺はその美味しさのために酒飲んで、タバコ吸ってるっしょ。これ間違いないっしょ。これ、ガチンコ交じりっ気無しっしゅ、・・・しょ。
あん・・・語尾間違えちゃった・・・
(´・ω・`)」

 

という方もいるかもしれません。

 

 確かに、ハナももともと酒とたばこに依存していましたので痛いほどよく分かります。

 

 というか、酒やタバコに依存したことの無い人よりも、むしろ、よっぽど分かります。

 

 休みの日なんて一人で朝からビールやハイボールやワイン、ウイスキーいってましたからね。
 しかもアテも食べず酒だけとか。
 「朝ビール最高・・・!!」とか言いながら。ちょっと異常でしたよね・・・ハハ・・・(*´▽`*)

 

 開放的な気分の時に飲む、キンキンに冷えた生ビール、ストレスフルな状況を脱した時に吸う一本のタバコ、依存のある人にはわかるでしょう。

 

 この一杯のために俺は生きてる

 

 この美味さを味わえない人は人生損している

 

と内心思ってしまうほどの美味さに感じます。確かに。

 

 そこは否定しません。

 

 しかし、ここで、バラ色の依存生活を謳歌している方にとって、残念な事実をお伝えしなくてはなりません。

 

 残念な事実とは何か?

 

 残念な事実とは、「酒やタバコの美味さ」は、決して手放しには喜べない

 

「残念な美味さ」

 

であるということです。その美味さの何が残念なのかというと、その美味さは、

 

麻薬と同じ

 

と言えば分かりやすいでしょうか、一つも二つも

 

裏の顔

 

を持つ、

 

「悪魔の美味しさ」

 

であるということです。
(表現のカッコ良さが凄い・・・)

 

 

 第46回でお伝えしました通り、ドーパミンを強制的に強烈に刺激し、幸福感を感じる神経をバカにして鈍らせてしまう、つまり、

 

「日々の幸せを差し出してその引き換えとして得た、悪魔的美味さ」

 

であり、

 

決して手放しに喜べない、いわくつきの美味さ

 

ということです。依存者が感じているのは、まさに

 

「悪魔との取引」

 

のような、不自然で異常な美味さです。しかも、この異常な美味さは、実は、

 

まやかし

 

に過ぎません。依存者が酒やタバコに感じる、ある種異様とも言える美味さは、実は、

 

実体の無い幻

 

です。

 

「何言ってんだ?実際に美味いし、ちゃんと存在してるやろ。どこが幻やねん」

 

と思ったでしょうか。そう思った方に、酒やタバコの美味さが幻に過ぎない、その証拠となる、

 

「人生で初めて飲んだ一杯目のビールは美味かったですか?」

 

「人生で初めて吸った一本目のタバコは美味かったですか?」

 

という一問を贈ります。

 

 

砂漠に連れて行かれたら、そこで飲む水は、そりゃ美味いわ

 

 人間という生物にもともとビールやタバコに対する欲求があり、酒やタバコ自体に、強烈な美味さ成分がちゃんとあって、それらは幻なんかではない、というのであれば、

 

人生最初の1杯目から、現在と同じくらい美味くなければ、おかしい

 

ですよね?

 

 全員にアンケート調査したわけではないですが、きっと、人生最初の一杯目のビールを、タバコを、そんな風に感じた人はおそらくいないはずです。実は、酒やタバコに感じる

 

異常なまでの美味さ

 

というのは、酒やタバコ自体に旨味成分として宿っているものではなく、(もちろん旨味成分も風味も持つが、それだけではここまでは美味く感じない。)

 

繰り返し酒やタバコを摂取していく過程で、後から依存者の脳の中に作られていったもの

 

なのです。

 

 

・・・突然ですが、ここでクイズです。

 

 「とあるレストラン、普通の調理スキルしか持たない普通の腕の料理人が、超辛口で世界的に有名な料理評論家にいつも作っている普通のチャーハンで『この料理は、神の造りし至上の一品』と言わしめました。」

 

「その魔法のような方法とは?」

 

麻薬を入れた?

 

違います。

 

味〇素を入れまくった??

 

ある意味正解!?

 

答えはカンタン。

 

「注文されてからテーブルに料理を出すまでに一週間かけた」

 

のです。

 

 料理評論家が料理を待っている一週間の間、口にできたのはお代わり自由のお水だけ。w 飢餓状態で食べ物のことしか考えられず、食べ物への欲求が頂点まで高まりきった評論家は、料理人が出したただのチャーハンの味を

 

「神々の造りし至高の一品」

 

と評したとさ。

 

 実は、アルコールとニコチンについてもこれと同じ構造を見ることができます。

 

 そのからくりのポイントは、

 

「欲求」です。

 

 ただの水でも、砂漠で数日過ごしてノドがカラカラになり、欲求が頂点に達していれば

 

神が作り出した至高の甘露

 

に感じますよね?

 

 アルコールやニコチンには、摂取したのち、次なる欲求を作り出す性質があります。摂取すればするほど、もっともっと欲しくなる、という性質です。

 

 なぜ、酒やタバコがたまらなく美味く感じるのか?それは、酒やタバコの中にある旨味の仕業ではなく、アルコールやニコチンの持つ

 

「脳の中に欲求を作り出す」

 

という性質により、欲求が不自然に高められ、作られた欲求によって本来持っている旨味が何倍にも、何十倍にも感じられるから、ということになります。

 

「人生初めの一杯は美味しかったですか?」

 

という質問を投げかけました。繰り返し繰り返し、ほんとは不味いけど、周りがとりあえずビールを飲むから、自分も飲む、ほんとは不味いけど、カッコつけるために吸う、

 

(ビールに関しては、少し苦いジュースのような感覚で砂糖の甘みを借りてカクテルサワーやチューハイから入っていき、アルコールへの欲求が出来上がってから人生で初めてのビールに臨んだ場合、初めから美味しく感じた、というパターンもあるかもしれません)

 

 これらを繰り返し、何度も摂取していくうちに、アルコールやニコチンへの欲求がいつのまにかあなたの中に形成されていき、肥大化していきます。そして、欲求が大きくなるに伴って、それが満たされたときの「美味さ」もケタ違いに大きくなっていきます。

 

「チャーハンが出てくるまでの一週間」よろしく、「砂漠の水」よろしく、対象への欲求が強ければ強いほど、対象物は美味しく感じられるのでしたよね。

 

 しまいには、日常生活におけるどの幸福感も凌駕してしまい、

 

「この一杯のために俺は生きている」

 

「この一服が、何物にも代えがたい」

 

といったレベルにまで行き着き、そこまで美味く感じる頃には、幸せの不感症状態に仕上がっていますから、依存対象以外では、ほとんど日常的な幸福感を感じなくさせられている上に、ダメ押しのように一方で依存物だけは異様に、やたらに美味しく気持ちよく感じる、という二重構造。

 

「そこまでやるか」
「そりゃ抜け出せないわ」

 

という依存のからくり。悪魔級に狡猾な完全包囲網。

 

 ヘイ!お待ち!「一人前の依存者」、いっちょう上がり!!

 

というわけです。

 

「お客さん、こちら、超おススメ。人類史上、世界的、歴史的、超絶大ヒット商品です。『飲むと、あとで余計にノドが乾いてくる水』。天才的発明ですよ、コレ。水自体は無味無臭ですが、ノドを乾かしてくれるので、飲めば飲むほどに、ますますノドが乾いて、飲めば飲むほどに、どんどんと美味く感じられてくるんです。みんな最後には病みつきになって、もうコレ無しではいられないくらいです。どうです?買いませんか?世界中で、みんなが喜んで飲んでくれてますよ?」

 

「いりませんwww」

 

 酒やタバコの摂取自体が、酒やタバコへの欲求を後から作り出し、その作られた強烈な欲求ゆえに、

 

酒やタバコに本来は宿っていないはずのレベル

 

にまで

 

「格別に美味く感じてしまう」、
「格別に美味く感じさせられている」、

 

酒やタバコの異様な美味さは

 

実体のないまやかしに過ぎない、

 

といった意味がわかりましたよね?

 

 酒やタバコが物質として本来持っている旨味を明らかに越えたレベルにまでその美味さを昇華させているのは、酒造元の技でもタバコ農家の努力でもなく、

 

あなたの中にアルコールやニコチンが作り出した不自然なまでの強い欲求

 

なのであり、それらが、

 

その異様なまでの美味さのからくり、その正体だった、

 

というわけです。

 

 正体さえ分かってしまえば、解決策も、おのずと分かってこよう、というもの。

 

 つまり、いったん酒やタバコの摂取を断絶、シャットアウトし、酒やタバコがしめしめとあなたの中に植え付け、「大きくなれよー」と、育てる不自然な欲求さえ無くなれば、そこまでの異様な美味さは感じなくてすみ、日常の幸福感も戻ってきて、酒やタバコに支配された日常は送らなくて済むようになる、というお話になります。

 

 例えば、完全断酒1年を経たあとに、

 

「作為的に肥大化させられた欲求」

 

という悪魔のサポート無しに飲む冷たいビールは、もちろん、ビールが物質として持つ、麦の旨味、炭酸の刺激、冷たさ、心地よい苦味、糖質の甘み、などがありますので、美味いことはもちろん美味いでしょうが、

 

(ナニコレ不味・・・何でこんなものを喜んで飲んでいたのか・・・と感じる人もいるでしょう)

 

その美味さとは、単純に、冷えた炭酸水の美味さと同種のものであり、きっと、

 

「脳髄まで染み渡るような、強烈な美味さ」
「砂漠で与えられた水のような強烈な美味」

 

では無くなっていることでしょう。依存物質のからくりとその悪魔的な性格、その正体への気づきが無いままに、

 

「あれ、おかしいな?ビールって、確かもっともっと美味いはずだったよな?」

 

と訝って、そこから毎日のようにまた飲み始めれば、欲求が高まり、また悪魔的美味さが舞い戻ってきて、

 

「そうそう、これだよ、この痺れるような快感、この美味さだよ」

 

と満足し、難なく、その虜に再び舞い戻ることができるでしょう。

 

 次回、結論について解説し、依存編の締めとしたいと思います。

 

 

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