第54回 ビタミンサプリやプロテインに抵抗感がある人へ

第54回 ビタミンサプリやプロテインに抵抗感がある人へ



【第0回ハナの思い←まだの方はこちら】


より多くの方に読んでいただいて虚弱体質改善していただくため、アメブロも始めました。こちらに無い情報も語っていきます。良かったら覗いてみてください。

https://ameblo.jp/akatsukihana12


 

 

 今回は、具体的にビタミンサプリの内容に入っていく前の段階として、そもそも、栄養をサプリメントやプロテインの形で摂ることに抵抗があって、なかなか踏み切れないという方に向けて、

 

「こんな風に考えてみたらどうっスかね?」

 

という考え方の部分をちょっと提案してみたいと思います。

 

 また、健康にいいと聞いてメガビタミンや高タンパクを既に続けてはいるものの、

 

「短期的に調子は上がってきたが、果たしてこんなに大量のサプリメントやプロテインをこれからも長期に続けてもほんとに大丈夫なんだろうか。。。」

 

と不安に感じながら続けている方にも、ぜひ参考にしていただければと思います。

 

 

あなたがサプリメントやプロテインに抵抗を感じる理由

 

 あなたがサプリメントやプロテインに踏み切れない、もしくは、続けてはいるが、その状態に何となく不安を感じているとしたら、以下の理由などが挙げられるのではないでしょうか。

 

1、自然が吉という固定観念

 

 サプリメントやプロテインは自然でなく、不自然なもの。

 

 天然、自然は身体に良いが、化学的、不自然は身体に悪い。

 

 サプリやプロテインは化学的で不自然。

 

 物質としても不自然だし、本来自然物からは摂れない量の栄養を大量に摂る行為自体も自然でない。長期大量摂取は弊害があるはず。そこに違和感や、不安を感じる。

 

 

2、健康長寿者はやってない

 

 サプリメントやプロテインを摂らずに、健康長寿の人がいる。

 

 もしくは、健康長寿の人は皆、サプリメントやプロテインを摂っていない。健康長寿になるために果たしてサプリやプロテインが必須なのか、疑問や不安を感じる。

 

 

3、否定的な情報を見た

 

 サプリメントや高タンパクを否定する情報をネットや本で目にして、不安を感じる。

 

4、ランニングコスト

 

 一生それを続けていくとなると、ランニングコストが気になる。

 

 

5、単純に抵抗がある

 

 一般常識、今までの自分のスタイルと、かけ離れ過ぎていて何となく抵抗がある。

 

 

 これから数回かけて、一つ一つ、順番に
見ていきたいと思います。

 

 

1、自然物(ナチュラル)が吉という固定観念

 

 これは誰しもにあると思います。

 

 ハナもしかり。

 

 自らの体内に入れるものや皮膚や粘膜に直接つけるものは天然や自然由来が・・・

 

安全だ、
ベターだ、
ベストだ、
身体にやさしい、
健康にいい、

 

また、逆に、

 

化学的、人工的、精製物、は「自然物」である我々人間の体にとっては・・・

 

不自然、
悪い、
害がある、
悪影響を及ぼす、

 

という考えですね。

 

「天然もの」「オーガニック」「自然放牧」「有機栽培」などと聞けば、確かに耳触りりもいいですし、安心感もあります。

 

「化学成分100%」「純人工加工物」と謳われるよりは、どうも身体には良さそうです。

 

 ここにはもちろんおおむね反論の余地はありません。

 

そもそも、どうして天然は体に良いのか?

 

 

 実際問題、天然成分100%のものの方が、化学成分100%のものより、総合的に考えて口に入れるものとしては悪影響が少ない傾向にあるでしょう。

 

 総合的に見て、より健康的である可能性もどちらかと言えば高いかと思います。

 

 もちろん、天然毒や種子毒など、例外は無数にありますが、実際現代人の多くの人が口にするレベルで、という土俵で比べれば、おおむねそうだろう、というお話です。

 

 この理由としては、生物の肉体そのものが、そもそも「自然界用」として設計されている、だから自然界の物を取り入れて上手くいくのはいわば必然というか、当たり前、ということがあります。

 

 逆に、化学物質や精製物質を長期に大量に代謝して処理する設計にはそもそもなっていませんので、
(肝臓君が多種多様な異物、化学物質を処理してくれますが、あくまでそれはイレギュラー対応のはずで、もともと化学物質の代謝を前提として作られているわけではありません。)

 

設定に無い化学物質の摂取をあまりに続けていくと最後には肝臓や他の臓器血管等、傷んでしまい、やはりダメになってしまうわけです。

 

 もともとある自然界の中で上手く生きられるよう、自然界ありきで、自然界に合わせて、自然界にある自然物を使って、それで上手く生きられるよう代謝構造を適応させ、進化し、数百万年かけて「それ用」にあつらえられた設計になっているのだから、天然ものや、より自然に近いものの摂取が、

 

「自然用に合わせて造られた肉体」

 

には合っている、つまり、生命を維持し、寿命を全うするためにもっとも効果的、というのは、当然の帰結で、当たり前と言えば当たり前とも言えるかと思います。

 

 

@最初にまず自然界があり

 

Aその自然界で上手く生きられるよう、その自然界から得られる自然物で結果が最大化、つまり生き残り、生物として繁栄し、寿命を全うするように肉体の代謝構造の方が自然界に合わせて、適応、進化している。

 

 というか、自然界に合わせて適応、進化出来たものだけが生き残っている。
自然界にあるもので結果を最大化できる構造でなければ、そもそも、淘汰されて生き残っていない。すなわち、現在生き残っている我々は、自然物で体調や健康、寿命の長さを最大化できる存在である。

 

Bそもそも自然界に合わせた造りになっている我々が、自然界のものを摂取して調子が上がるのは当たり前

 

というわけです。

 

化学物質、精製物質の利点

 

 化学物質や精製物質の摂取というものは、

 

「自然のものを摂り入れて自然で生きる」

 

という過程におけるごく一部分だけをピックアップして、ミクロ的視点において、小手先的に一部の代謝反応だけを利用するやり方、ということができるかと思います。

 

 例えば、人間はビタミンCを全く摂らないと壊血病にかかって死んでしまいますが、

 

柑橘類を食べたら治る→

 

柑橘類の中のビタミンCが効くらしい→

 

じゃあ、ビタミンCだけ摂ったらええやん

 

という発想で、

 

柑橘類を摂ったら本来ビタミンCと同時に摂取されるはずのその他のビタミンやミネラル、ポリフェノール等の栄養素、第一目的以外の要素は、良くも悪くも排除されているわけです。

 

 同じく「ビタミンCを摂るため柑橘類が必要」という例で例えますが、人類が「じゃあ柑橘類食べてればいいじゃん」では飽き足らずに、いわば「不自然」にそのビタミンCだけを抽出して「化学的」な「精製物」として利用しようとしてきたのには、いくつかの合理的な理由があって、

 

 

 @利便性を高めるため
柑橘類を毎食用意して食べるのは大変。ビタミンCサプリならいつでもどこでもお手軽に。保存の手間も要らない。

 

 Aコストの問題
同じビタミンC容量で比較すれば比較にならないほどサプリの方が安上がり。

 

 Bたくさん摂る(効果を出す)ため
ビタミンCを大量摂取するためにレモン数百個は食べられませんよねって話ですね。
(余談、ビタミンをたっぷり摂ろうと野菜や果物で腹がいっぱいになったら一番大切なタンパク質が全然摂れませんし、糖質過剰になります)

 

などなどがあります。

 

 上記は「柑橘類」と「ビタミンC」で例えましたが、

 

「レバー」と「ビタミンA」、
「豚肉」と「ビタミンB」、
「キクラゲ」と「ビタミンD」、
「牡蠣」と「亜鉛」、

 

でも、何でもいいです。

 

 

 

 

あなたがもし、もともと自然界に住んでいたら、果たして同じく虚弱体質になっていただろうか?

 

 上記を読めば、

 

「人間がもともと自然物で健康になるように設計された存在だっていうなら、プロテインやサプリメントみたいな不自然な人工物じゃなくて、オーガニックな食材や天然自然にこだわったアイテムに囲まれて生きていけば、虚弱体質も自然に治るってことじゃないの?」

 

と思われたかもしれません。

 

 でも、それは間違っています。

 

 なぜならば、

 

あなたは自然界には本来無い人工物のせいで虚弱体質になったから

 

です。

 

 具体的には、

 

「精製糖」
「糖質過剰→タンパク質不足な現代食文化」
「果糖」
(現代日本人が口にできる果物は、この記事でいう「本来自然界にあったもの」には該当しません。ほとんど別物といってよく、むしろ人工精製物の方にカテゴライズされます。要は、極端に言うと、あまりに甘すぎる、不自然で人工的な存在です。一概にすべてがそうだとはいいませんが、おおむねその傾向)
「質の悪い油」
「添加物、加工食品」
「重金属や放射能汚染、農薬汚染」
「環境ホルモン」
「ストレスフルな現代文化・社会」
「運動不足がデフォルトな文化」

 

など、挙げだすとキリがないほどです。

 

 

 これらが複合的に組み合わさり、その合わせ技で、あなたは現在体調を崩し、病気になり、不調や不定愁訴を抱えるハメになっています。

 

 もしもあなたがもともと

 

「現代文化の一切入っていない自然界」

 

の中で生まれ育ち、上記の要素と一切無縁で、それこそ天然物、自然から与えられたものだけで数十年生きてきたのだとしたら、果たして今と全く同じ

 

「虚弱体質で不定愁訴持ちのあなた」

 

に仕上がったでしょうか?

 

 おそらく、そうではない、ですよね?

 

 母親からキツイお土産(DNAではなく重金属や化学物質、糖害、タンパク質不足など)をもらって生まれてきていて、生まれつき相当に虚弱に産まれてきている場合は、上記のような自然界での自然物のみの生活でも、不定愁訴や病気一切なしの100円満点の完全体までには届かないかもしれませんが、それでもやはり、現代日本で数十年生きてきた場合よりも体質としてはおそらく上向いているかと思います。

 

 

自然界は万能ではないし、世話焼きでもない

 

 人間は、もともとが自然界に合わせて作られています。

 

 だから、自然界で、自然のものだけで生きることができたとしたら、結果は最大化されることでしょう。

 

 体質は強く、健康で、天寿を全うできる可能性は高いでしょう。
(もちろん、感染症の問題など、どう考えても現代文化に軍配が上がるものもありますが、今回の記事ではどちらがいいとか述べているわけではなくて、言いたいことと論点がズレますので割愛。)

 

 しかし、前述のように、現代社会特有の事情で体質が崩れて、つまり、内臓や各器官が糖質過剰、タンパク質不足、化学物質や精製糖、質の悪い油などで害されてしまっている場合はどうでしょう?

 

 これは内臓にとって、つまりDNAにとって、想定外ですよね。

 

 人類が数百万年、生物が数億年かけて築いてきた「自然の中で生きる」シナリオ、台本にはそんな一節はまだありません。

 

 台本の書き換えにDNAが対応していくのには、もっともっと長い時間がかかります。まだまだ「自然仕様」の人間の肉体は、それらには非対応です。

 

 だから、あなたもハナも、故障し、調子を崩しました。

 

 その故障をも、「自然のもの」ならきっと治してくれる?

 

 自然物が、化学物質や精製糖、精製果実で破壊された臓器までも、きっと癒してくれる?

 

 私たちは、何を根拠にそう思ってしまうのでしょうか?

 

 私たちは、何か勘違いしていませんか?

 

 それらは、ただの思い込み、ただの願い、ただの希望的観測、に過ぎないのではないでしょうか?

 

 もともとあった自然に、私たちの方が合わせた、すり寄せていった・・・

 

のでしたよね?

 

 途方もない年月と、「淘汰」という途方もない膨大な数の試行錯誤を経て。

 

 自然は、その間ずっと、ただそこに在っただけです。

 

 そしてこれからも、そこにただ在るだけの存在です。

 

 どうして天然物は体に良いのか?

 

 それは、天然物に私たちの体を合わせているから、こそです。

 

 順序をはき違えては、道理は見えては来ません。

 

 自然界が

 

「自然界に住む者たちが健康に、病気せず生きられるよう、アレとコレと、用意しといてあげよう」

 

と世話を焼いてくれているわけではありません。自然からしたら、知ったこっちゃない、わけです。

 

 人工物で破壊された臓器を、

 

「自然物が治してくれるに違いない」なわけがない、
「自然物だけで万事治せるに違いない」なわけがない、

 

のです。

 

 「治らない」と言いたいのではありません。

 

 「治るはず、とは言えないはず」と言っています。

 

「自然の恵み」という言葉があります。

 

 これは、前述のような考えで、よくよく冷静に聞いてみると、ものすごく「自分本位」「人間本位」な、自己中心的な甘えた表現だというのがわかるでしょうか?

 

 自然は「恵んで」なんかくれません。人間のことなんか知ったこっちゃない。厳しくもしないし、やさしくもしない。ただ、そこに在るだけです。

 

 ただ、そこに在るだけで、人間がそれをどう使って、その結果、何がどうなろうが、自然からしたら、知ったこっちゃない。

 

 持って帰ろうが、食べて生きようが、飲んで死のうが、身体に塗ろうが、落ちて死のうが溺れて死のうが、汚そうが、掃除してキレイに保とうが、それは人間の勝手で、なんら知ったこっちゃありません。

 

 自然はただ、そこに在るだけ。

 

 人間が、

 

勝手に自然に合わせて身体を適応させて、
勝手に自然物を摂取して健康を維持し、
勝手に自然物を美味いと感じ、
結果、勝手に自分たちが生きていくために自然がすべてをお膳立てしてくれていると思い込み、
勝手に勘違いして思いあがっている

 

だけです。

 

 人間が一人で勝手に、自然が恵んでくれただの、猛威を振るっただの、バタバタと一喜一憂して一人芝居しているだけです。

 

「自然の恵み??プススw何サマ?
(^∀^)σ」

 

ってなもんです。

 

 これが、固定観念を取っ払って冷静に「ただ視た」時に、見えてくる「道理」ではないでしょうか。

 

 私たちが化学物質で一人勝手に身体を壊しておいて、その解決策を自然の中に求める、自然がなんとしてくれるはず、自然の中に答えがあるはず、自然から獲れるものが治してくれるはず、という考えが、極めて「オメデタイ」考えで、フィクションに過ぎないということが、分かりますでしょうか?

 

 

「自然界仕様」のため「化学物質・精製物質非対応」

 

 私たちの肉体は、いわば自然物に合わせて設計された「自然界仕様」ではありますが、「人工物仕様」「化学物質対応」「精製物対応」では、「まだ」ありません。

 

 これから数万年、現在の添加物や精製糖を摂り続けたら、もしかしたらそれらの摂取で結果が最大化される生物に進化しているかもしれませんが、現時点では、人工物や化学物質、精製物質に囲まれた環境は、自然界に対応してきた年月に比べて、歴史が浅すぎます。

 

 私たちの肉体はまだまだ「自然界仕様」なのであり、実はまだ、「現代仕様」ではないです。

 

 文明文化の進みが早すぎて、進歩した社会に対して肉体のバージョンが追いついてません。

 

「旧バージョンのまま、非対応ゆえのバグに苦しんでいる」のが、病める現代人の姿、その本質です。

 

 で、もちろん、自然界はそんなこと、知ったこっちゃない、のです。

 

 自然界は、むろん、あなたの、精製糖でダメになった内臓を癒してくれるように設計された存在では無いですし、実際、治してもくれません。

 

 

 精製糖でダメになった内臓は、天然物、自然物ではなかなか治りません。

 

 もしくは、治せても時間が余計にかかります。遠回りになります。

 

 精製糖でダメになった臓器の回復にビタミンCが一日10000r必要だとします。それをレモン数百個で摂ろうとするのが、天然物だけで何とかしようとする行為です。

 

 遠回りで、非合理的ではないでしょうか。

 

 そこに手軽に利用できる解があるのに、自然にこだわって遠回りすることは、非常にもったいない行為ではないのかな、と感じます。

 

 自然でないと嫌、人工物、化学物質はどうしてもいやという人は、本州から北海道に行くのに徒歩で行きますか?

 

 飛行機という合理的な手段がある中で徒歩にこだわることは、体質を改善するためにサプリメントやプロテインを使わずに食事だけで何とかしようとすることと変わりません。
(↑藤川徳美先生が同じ例えをされていてビックリしましたが、パクってないですよ。たまたまです。w)

 

 例えるなら、そういうことになります。

 

 長くなってきたので次回に続きます。

 

 

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